【ビシュケク観光】「アライの女王」クルマンジャン・ダトカの生涯
ビシュケク中心部の公園で一際目を引くこちらの像の女性は、キルギス南部を治め、「アライの女王」とも呼ばれた伝説的な女性指導者、クルマンジャン・ダトカです。今回は時代を超えて親しまれ、尊敬されているクルマンジャンの生涯・功績をご紹介します。

💡クルマンジャン・ダトカについて
1811年に現在のキルギス南部のオシュ地方に生まれたクルマンジャン。
18歳の時に親の決めた結婚で顔も知らない男性と結婚させられることになったものの、嫁ぎ先から馬に乗って逃げ帰ったクルマンジャンは、1832年にアライを治めていたアリムベク・ダトカと恋愛結婚をしました。

1862年に夫のアリムベクが暗殺されてからは「ダトカ」(統治者)の称号を引き継ぎ、アライ地方を治めました。
ロシア帝国の南下やコーカンド・ハン国の衰退など、困難な時代にダトカとなったクルマンジャンでしたが、数十の氏族に分かれていた南部のキルギス人をまとめ、圧倒的な強さを誇ったロシア帝国との争いをやめてロシア帝国への平和的な併合を選び、それ以上キルギス人の血が流れるのを防ぎました。

また、クルマンジャンはコーカンド・ハン国、ブハラ・ハン国、ロシア帝国の3カ国から統治者として認められた唯一の女性となりました。
2014年には彼女の波乱に満ちた生涯を描いた映画「山嶺の女王 クルマンジャン」が公開されました。
現在のキルギスの50ソム紙幣にはクルマンジャン・ダトカの肖像画が描かれています。
⛰️まとめ
首都のビシュケクやクルマンジャンが治めたオシュをはじめ、キルギス各地にクルマンジャン・ダトカの名を冠した通りや彼女の像が建てられ、今も人々に敬愛されています。

歴史を知ることで、キルギスに旅行に来た際はより深く楽しめるはずです。キルギスを訪れた際には、クルマンジャン・ダトカにまつわる場所にも是非足を運んでみてください!
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